ブルートレイン Blue train

ブルートレインが老朽化の名のもと廃止になった。設備のいいブルートレインを作ればいいのにと思ったがそういう声はどこにもみあたらなかった。世界は高速に目をむけ高速であることはいいことだと思い込んでいる。唯一高速で失敗した例はコンコルドだ。時代を読みきれなかった。開発している何年かの間の人々の意識の変化を読みきれなかった。その意識の変化とは環境への配慮で音がうるさいということと、そんなに早くなくてもいいんじゃないというものだ。

私は寝台が好きだ。乗ってみないとわからないこともある。あけぼのの個室寝台の2階に乗ったときのことだ。板を広げてベッドを作るようになっていて、ベッドを作ると内側に開く扉は開かないようになっている。個室外に出るには一回一回ベッドをたたまなくてはいけない。非常時は死ぬと思ったし当然よく眠れなかった。

また、出雲へ行くのに寝台に乗ったときのことだ。どこかの駅に何かの理由で20分ほど停車した。寝台でスリッパをはいていた我々はスリッパのままホームに降りて談笑したり売店へ行ったりした。めったにないことで、寝台車だからこそでもある。

ブルートレインが廃止になるときくと急に惜しんでわれ先にと集まってきて’残念です’のようなコメントを出す。その人々が寝台車に乗り続けていたかあるいはよく乗っていたかというとそうではないように思われる。私はしゃしゃり出て乗りもしないのにコメントをいう人々が嫌いです。身体への負担の少ない寝台車、寝ている間に運んでくれる寝台車は大好きだったのに。