御勝手資本主義の崩壊論

みなさま 明けましておめでとうございます。新しい年に臨んで思うことを述べたいと思います。「あるとすれば年頭に思うできればいいな。文化村での展示を、特にペン画と白黒版画を。それと詩集の発行。エロイ詩ばかりを集めてね。」

では、資本主義の崩壊論を述べるにあたり頭に御勝手と付けたのはもちろん御勝手屋羊羹の勝手な紐と同様好きなようにお読み下さいの意味です。だいぶ前のことになりますが、当時作新学院の理事であった船田元さん主催の月一回の講座に二年間通った。毎回各分野の著名な方を招いての講座で興味を持って宇都宮まで通った。ある時、経済評論家の方が資本主義について、資本主義とは搾取の歴史であるというようなことを言っていた。(私の聞き違いかもしれないがそういう意味だったように記憶している)。生産拠点として、中国がなくなればベトナムへ、ベトナムがなくなればミャンマー、そしてミャンマーがなくなればアフリカと言っていた。私はずっと以前から資本主義はいずれ終わりを告げるであろうと思っていた。が、それはいつか、いつどういうかたちでくるのか予測はできなかった。でも、この経済評論家の話で「まもなくであろう」と確信した。

実は、終わりは我々の見えないところですでに始まっていて気づいた時には崩壊してしまっているというのが、現状で考えられる状況だ。私は崩壊はすでに人々の心の深いところで始まっていると思う。どこかで人々が資本主義の崩壊を望んでいるのではないかと思うからだ。資本主義は人々を幸せにしないと。人々はそう思い始めている。思い始めて久しいと思うよ。潜在意識の下で徐々に広がっている崩壊の感覚が何かをきっかけに顕在化してくる。

顕在化のタイミングと感じられる強いものは、これだ!!というものはいままで見つけられなかった。人の心の深いところで徐々に崩壊していることは確かだと思うのだが….そしてついに来た。アメリカで人々の心に火がついた。人々は今思っている、資本主義は人々を幸せにしないと。